各受章者の対日功績
ヘンリー・ヤスシ・太田 旭日小綬章

ヘンリー・ヤスシ・太田氏は、第二次世界大戦中、アメリカ合衆国アリゾナ州ヒラ・リバーにあった日系人収容所にて生まれました。同人は日本にルーツを有する米国人として、法律やビジネス面だけではなく、文化面においても日米間の架け橋となるべく尽力し、ロサンゼルスの日系人の象徴的な組織や施設の設立、運営において中心的な役割を果たすこととなりました。
同人は昭和45年にカリフォルニア州弁護士資格を取得し、米国進出を検討している日本企業の法人弁護士として活躍されました。昭和50年代前半には南カリフォルニア日系企業協会の法律顧問を努め、日本企業に対する不当な税制の排除に尽力しました。また、日本とカリフォルニアの相互理解を促進するため、カリフォルニア州議会との交流事業を立ち上げました。特に昭和50年代後半、日米間での貿易摩擦が大きな問題となり、カリフォルニア州議会にて現地製品購入を奨励する法律案が提出された際は、右法案を廃案に追い込むため日系企業の組織化に奔走。現地ロビイストと日系企業の仲介役を果たし法案成立を阻止することに成功しました。同人は南カリフォルニアの日系企業を支援してきた経験が評価され、対日関係担当のロサンゼルス市長顧問、ロサンゼルス郡のアジア国際顧問委員会委員に就任しました。
同人は各界で活躍する日系人リーダーが各々の分野において日米交流の架け橋となるべきと考え、平成21年に有志で非営利団体米日カウンシルを設立しました。同カウンシルは設立後8年しか経過していませんが、既に日系人による全米的な組織として広く認識されており、日本外務省が実施している在米日系人リーダー招聘プログラムにも全面敵に協力しています。米日カウンシルは平成23年の東日本大震災発生時には米国内で震災支援基金を立ち上げて支援を集めたほか、平成24年には、東日本の復興を中長期的に支援するため、日米間の文化的・経済的な結束強化と友好を深めることを目的とした「トモダチ・イニシアティブ」を米国政府と共同で立ち上げています。
同人は平成2年より日米文化会館の理事を務め(平成24年には理事長)、同文化会館の改革に尽力し、現在では同会館は南カリフォルニアだけでなく、全米においても日系人の象徴的な存在として認識されるに至っています。日系人収容所で生まれた経歴を持つ同人は全米日系人博物館の設立・運営にも深く携わってきました。平成2年から3年間にわたり同博物館の理事長を務め、現在も理事として活躍されています。同博物館はリトルトーキョーの象徴的な施設の一つであり、米国史の一部として日系人の歴史を学習する場となっています。同人は次世代の日系人が日本との絆を誇りに持てるようするためのキズナ・プロジェクトの理事として、現在も資金集めを支援するなど、縁の下の力持ちとして活躍しています。
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