ヨーロッパ人が現在のカリフォルニア州に相当する地域に訪れたのは、1542年にスペイン人探検家のファン・ロドリゲス・カブリーヨが金鉱を求めてメキシコから北上しサン・ディエゴ湾に到着したのが最初です。当時、この地域はアメリカン・インディアンが多数の小部族に分かれて各地に点在するだけの広大な原野でした。その後徐々に沿岸に移住し始めたスペイン人と先住インディアンの抗争の時代がしばらく続き、本格的なスペイン人による移住はサン・ディエゴがスペイン領になった1769年以降に始まりました。
スペインの支配を受けていたカリフォルニア地域は、独立戦争の結果、1821年、メキシコに併合されましたが、その後、米大陸東部からの開拓民の流入が始まり、開拓民と地域住民との対立が激化しました。米国は当初、カリフォルニアを含むテキサス、アリゾナ、ニュー・メキシコを購入しようとしましたが、メキシコ政府は拒否し、米墨戦争(1846年-1848年)に発展しました。戦争の結果、カリフォルニアはメキシコから割譲されアメリカ領となり、1850年に合衆国第31番目の州となりました。これに先立つ1848年には金鉱が発見され、ゴールド・ラッシュ時代が到来しました。また、1869年の大陸横断鉄道開通とともに東部から移住者が続々と新天地開拓のために流入し、急速な発展を遂げました。
その後、特に南部カリフォルニアでは、映画を中心とする娯楽関連産業、精密機械工業、石油工業が栄えたのをはじめ、第二次世界大戦の勃発が航空機、船舶など製造業を成長させ、飛躍的な発展につながり、現在、米国第2の工業地帯となっています。また、カリフォルニアは、肥沃な土壌と温暖な気候、灌漑設備の整備、豊富な労働力という条件に恵まれ、過去50年近くにわたって全米第1位の農産物販売額を誇る米国有数の農業州でもあり、多様化した産業構造を持っています。
ロサンゼルス(LA)にヨーロッパ人が移住してきたのは、キリスト教フランシスコ派のユンペロ・セラ神父がサン・ガブリエール教会を設立した1771年が最初です。10年後の1781年9月、スペイン人、インディアン、アフリカ人などで構成する40数名の教徒集団がメキシコから渡米し、プエブロと呼ばれる集落を現在のオルベラ街に形成。ここを「エル・プエブロ・デ・ヌエストラ・セニョーラ・ラ・レイナ・デ・ロス・アンヘレス(天使の女王の町)」と命名しました。1850年4月4日にLA市制が敷かれましたが、当時は、人口1610人、面積72.5平方キロの小さな町でした。 |