マシ・オカ氏がバロン西氏の馬鞭を遺族に返還
2021/9/8
2021年7月31日、俳優兼プロデューサーのマシ・オカ氏は、オリンピック馬術競技で日本人として唯一金メダルを獲得した、1932年のロサンゼルス・オリンピック金メダリスト・バロン西氏の馬鞭をひ孫の西満彦氏に返還しました。マシ・オカ氏は、LA84財団(以下、LA84)や文部科学省、スポーツ庁、日本馬術連盟、そして西家をつなぐ重要な役割を果たし、この歴史的な返還を実現させました。
1932年に開催されたロサンゼルス・オリンピックの馬術競技で金メダルを獲得したバロン西氏は、チャーリー・チャップリンやダグラス・フェアバンクスといったハリウッドの著名人とも親交があり、南カリフォルニアの地域社会に愛され、当時拡大しつつあった日系社会の誇りとなっていました。それからわずか10年あまりで、日本軍将校として1945年の硫黄島の戦いで亡くなりましたが、バロン西氏の功績はクリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」でも語られています。
1964年、ヘルムス財団は、バロン・西夫人からバロン西氏の馬鞭を譲り受けました。馬鞭は、1984年のロサンゼルス・オリンピック開催後、同財団のコレクションがLA84に渡った際にLA84に譲渡され、この度、バロン西氏の遺族に返還されるまで、LA84で保管されていました。
青少年のスポーツを支援するロサンゼルスの非営利団体であるLA84は、自身のコレクションの中にバロン西氏の馬鞭があることを知り、LA84の会長兼CEOのレナータ・シムリル氏がマシ・オカ氏にこの馬鞭の歴史を調べるよう依頼しました。マシ・オカ氏は、何度も訪日して日本政府関係者や日本馬術連盟に会うとともに、バロン西氏のひ孫である西満彦氏と連絡を取ってきました。
西満彦氏は、「最初に馬鞭の話を聞いたときは、関係者がたくさんいたので、全てを理解するのに時間がかかりましたが、戦争や国、世代を超えた友情の強さを実感しました。LA84が久しぶりに西家に連絡を取ってくれたことに、心から感謝しています。高校生のときに母方の旧姓である西を名乗ったのは、家系を継がなければならないと思ったからです。曾祖父には息子が一人(私の祖父)しかおらず、祖父には娘が一人(私の母)しかいなかったので、私が西を名乗らなければ西の家系は終わっていたのです。」と述べました。
マシ・オカ氏は、日本での馬鞭の返還の際、西満彦氏がそれまで誰も気づかなかった馬鞭の先端に刻印されている家紋に気づいたことを話しました。また、歴史とともに時間を過ごしてきた馬鞭に携わることができ、バロン西氏の写真を集めたスクラップブックを見て、とても感動したと話しました。
西満彦氏は、「特に、関係者との話し合いを進めるために尽力してくれたマシ・オカ氏に感謝したいと思います。直接会って話をしたほか、膨大な数のメールでのやりとりやビデオ通話があったからこそ、この返還が実現したのです。」と語りました。
また、西満彦氏は、ロサンゼルスの人々へのメッセージとして、「1世紀近く前に私の偉大な曽祖父をもてなしてくれたロサンゼルスの人々に感謝するとともに、特に日米関係が、政治的にだけでなく、個人のレベルでもこれまで以上に強固なものとなることを願っています。 また、2028年に開催されるロサンゼルス夏季オリンピックをとても楽しみにしており、どこにいてもその成功を願っています。」と述べました。
本年6月にロサンゼルスで行われたバロン西氏の馬鞭の返還の模様はこちらから御覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=n-GMKml9ecI&t=1s
写真:遺族提供
西満彦氏(右)、マシ・オカ氏(左)2021年7月31日東京にて
写真:遺族提供
バロン西氏とウラヌス 1932年ロサンゼルス・オリンピック
写真:遺族提供
バロン西氏(左)とダグラス・フェアバンクス(右)
写真:遺族提供
バロン西氏(左から3番目)
1932年に開催されたロサンゼルス・オリンピックの馬術競技で金メダルを獲得したバロン西氏は、チャーリー・チャップリンやダグラス・フェアバンクスといったハリウッドの著名人とも親交があり、南カリフォルニアの地域社会に愛され、当時拡大しつつあった日系社会の誇りとなっていました。それからわずか10年あまりで、日本軍将校として1945年の硫黄島の戦いで亡くなりましたが、バロン西氏の功績はクリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」でも語られています。
1964年、ヘルムス財団は、バロン・西夫人からバロン西氏の馬鞭を譲り受けました。馬鞭は、1984年のロサンゼルス・オリンピック開催後、同財団のコレクションがLA84に渡った際にLA84に譲渡され、この度、バロン西氏の遺族に返還されるまで、LA84で保管されていました。
青少年のスポーツを支援するロサンゼルスの非営利団体であるLA84は、自身のコレクションの中にバロン西氏の馬鞭があることを知り、LA84の会長兼CEOのレナータ・シムリル氏がマシ・オカ氏にこの馬鞭の歴史を調べるよう依頼しました。マシ・オカ氏は、何度も訪日して日本政府関係者や日本馬術連盟に会うとともに、バロン西氏のひ孫である西満彦氏と連絡を取ってきました。
西満彦氏は、「最初に馬鞭の話を聞いたときは、関係者がたくさんいたので、全てを理解するのに時間がかかりましたが、戦争や国、世代を超えた友情の強さを実感しました。LA84が久しぶりに西家に連絡を取ってくれたことに、心から感謝しています。高校生のときに母方の旧姓である西を名乗ったのは、家系を継がなければならないと思ったからです。曾祖父には息子が一人(私の祖父)しかおらず、祖父には娘が一人(私の母)しかいなかったので、私が西を名乗らなければ西の家系は終わっていたのです。」と述べました。
マシ・オカ氏は、日本での馬鞭の返還の際、西満彦氏がそれまで誰も気づかなかった馬鞭の先端に刻印されている家紋に気づいたことを話しました。また、歴史とともに時間を過ごしてきた馬鞭に携わることができ、バロン西氏の写真を集めたスクラップブックを見て、とても感動したと話しました。
西満彦氏は、「特に、関係者との話し合いを進めるために尽力してくれたマシ・オカ氏に感謝したいと思います。直接会って話をしたほか、膨大な数のメールでのやりとりやビデオ通話があったからこそ、この返還が実現したのです。」と語りました。
また、西満彦氏は、ロサンゼルスの人々へのメッセージとして、「1世紀近く前に私の偉大な曽祖父をもてなしてくれたロサンゼルスの人々に感謝するとともに、特に日米関係が、政治的にだけでなく、個人のレベルでもこれまで以上に強固なものとなることを願っています。 また、2028年に開催されるロサンゼルス夏季オリンピックをとても楽しみにしており、どこにいてもその成功を願っています。」と述べました。
本年6月にロサンゼルスで行われたバロン西氏の馬鞭の返還の模様はこちらから御覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=n-GMKml9ecI&t=1s
写真:遺族提供
西満彦氏(右)、マシ・オカ氏(左)2021年7月31日東京にて
写真:遺族提供
バロン西氏とウラヌス 1932年ロサンゼルス・オリンピック
写真:遺族提供
バロン西氏(左)とダグラス・フェアバンクス(右)
写真:遺族提供
バロン西氏(左から3番目)