ミノル・トウナイ 旭日小綬章
ミノル・トウナイ氏は1929年2月6日、約3000人の日本人移民の漁師により栄えたカリフォルニア州ターミナル島で生まれました。34年に家族で日本を訪れ、8ヶ月滞在後、両親と共に再度ターミナル島へ戻り、36年にはサンペドロへと引っ越されました。同氏は学生時代、剣道、そして日本語を学び、毎週土曜日にはコンプトン学園日本語補習校にて勉学に励みました。
第二次世界大戦の始まりとともに、現地のリーダー的存在だった父が逮捕された後、1942年5月には家族と共にサンタ・アニータ競馬場へと強制立ち退きを命じられ、その後コロラド州のアマチ収容所へと収容されました。
終戦後はロサンゼルスへ移り住み、高校を卒業、その後アルバイトで学費を稼ぎました。カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(UCLA)に入学したものの1年半で中退、再び働き始めたところ、1950年に朝鮮戦争が始まり、徴兵されました。同氏は衛生兵としてまず北朝鮮・ロシアからの侵攻に備えるため、東北地方へと派遣されました。1952年2月には韓国へと派遣され、最前線にて兵士たちを支え、1952年11月に除隊しました。再び勉学に励む為、ロサンゼルス・シティー・カレッジの商学部に入学、卒業後、再びUCLAの商学部に入学、1955年に卒業しました。その後会計事務所の簿記係として働き始めた同氏は、主に会計や管理職分野でのキャリアを積み上げ、87年に引退しました。
トウナイ氏は母校、UCLAへの寄付金集めを始めとし、働きながら複数の日系団体の活動に関わり、寄付金調達、日系社会の活性化、日本文化の浸透、日系人の地位向上に献身的に取り組んできました。1978年からアマチ戦時強制収容所歴史協会の会長、2012年からはターミナルアイランダーズの会長を務めた他、2002年に完成した記念碑、「ターミナル・メモリアル」のターミナル島記念碑委員会にて委員長も務めました。現在でも日系朝鮮戦争退役軍人団の理事、元会長、南加和歌山県人会顧問、江住村人会顧問、南加和歌山県人会奨学金委員として精力的に活動を続けています。
また、表千家同門会米国南加支部の理事、会長を長く務め、現在も顧問として南カリフォルニアにおける茶道の継承に尽力しています。日米文化会館の理事を30年以上務め、理事長も務めた経験があり、その他にも全米日系博物館、アジアアメリカ交響楽団、UCLA財団、日系ブルーインズやUCLA関連の団体で理事として活躍してきました。
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