令和3年春の叙勲受章者
令和3年4月28日
4月29日(日本時間),日本政府は,令和3年春の叙勲受章者を発表しました。当館管轄区域関係者では次の2氏に対して授与されます。
記
賞賜 |
功労概要 |
主要経歴 |
氏名 性別 年齢 |
現住所 |
旭日双光章 | 日本・アメリカ合衆国の地域間交流及び相互理解の促進に寄与 |
元 南カリフォルニア日米協会会長 元 ハンチントンビーチ姉妹都市協会会長 |
ダグラス・アーバー Douglas Erber (男・55歳) |
米国 カリフォルニア州 ロングビーチ市 |
旭日単光章 | アメリカ合衆国における日系社会の福祉向上に寄与 | 元 ロサンゼルス市消防局本部副本部長 元 二世ウィーク財団会長 |
デイビッド・ミキオ・ヤマハタ David Mikio Yamahata (男・68歳) |
米国 カリフォルニア州 パサデナ市 |
各受章者の対日功績
ダグラス・アーバー【旭日双光章】
ダグラス・アーバー氏は40年近くにわたり、職務及びボランティア活動を通じて、日米の友好親善と対日理解の促進に多大な貢献をされました。同氏は、南カリフォルニアの重要な日系団体である南カリフォルニア日米協会(JASSC)に、27年間属し、17年もの間、会長として、同協会の戦略立案及び文化交流や友好親善を図る数多くのイベントやプロジェクトの企画及び遂行の指揮を務められました。また、ハンチントンビーチ姉妹都市協会の会長に就任するなど、日米の友好親善の促進に尽力されました。
特に、平成23年の東日本大震災復興支援においては、JASSCの会長として、理事会と協力し、即座に日本救援基金を立ち上げ、義援金を積極的に呼びかけました。同年3月末までには、100万ドル近くが、平成28年までには、150万ドル以上がJASSCに募り、被災地の団体へ直接送られました。同人は、震災後もしばしば、JASSCの救援基金を通じて支援した団体や施設を訪問されました。さらに、福島の児童施設にいる子供達をロサンゼルスへ招待する「福島ユース文化交流事業」を平成25年から30年まで実施するなど、東日本大震災復興の支援に長期にわたって尽力されました。
また、同氏は、平成13年11月に、日本から江戸凧師の土岐幹男氏を招致し、日本の凧を紹介する「日米凧揚げ大会」を実現させました。このイベントは、土岐氏の日本凧揚げ実演の他、飴細工や太鼓演奏及び日本食の販売など、日米の文化交流を促進させ、南カリフォルニアの有力紙に取り上げられるなど、大きな反響を呼びました。平成25年には、1万5千人が参加し、日本以外で最大規模の凧上げイベントとなりました。また、同氏は、平成13年より土岐氏と共に、ロサンゼルスの公立校を訪問し、1,300人の子供たちに、竹と和紙を用いた日本の凧作りを伝授するワークショップを続けられています。
平成27年5月、安倍晋三総理(当時)ロサンゼルス訪問の際、JASSCは在ロサンゼルス日本国総領事館と共催で歓迎昼食会を開催しました。同氏はエリック・ガルセッティ・ロサンゼルス市長や他の日系団体との連携をはじめ、同昼食会の企画及び運営を担い、同昼食会を成功裏に収めました。
アーバー氏は、昭和59年、大学1年生の時に、ハンチントンビーチ市と姉妹都市関係にある愛知県安城市の交換留学に参加されました。深い感銘を受けた同氏は、平成元年、安城市へ戻り、そこで2年間、英語指導助手兼国際コーディネーターを務められました。米国に帰国後、ハンチントンビーチ姉妹都市協会に最年少の理事として加わりました。平成6年から3年間、会長に就任し、安城産業文化公園デンパークの平成9年開園に合わせ、ハンチントンビーチ市で実際に使われていた油井ポンプを友好の象徴として寄贈するなど、安城市との繋がりをより深いものへと引き上げました。その後は、アドバイザーに就任し、平成14年に、安城市市制50周年に際しハンチントンビーチ市で安城市からの訪問団を迎えて開催された、両市の永続的な友好関係を誓う式典の開催や、平成26年の「ハンチントンビーチ桜祭り」(現オレンジ郡桜祭り)の立ち上げに貢献するなど、現在もアドバイザーとして両市の友好親善と文化交流の促進に尽力されています。
特に、平成23年の東日本大震災復興支援においては、JASSCの会長として、理事会と協力し、即座に日本救援基金を立ち上げ、義援金を積極的に呼びかけました。同年3月末までには、100万ドル近くが、平成28年までには、150万ドル以上がJASSCに募り、被災地の団体へ直接送られました。同人は、震災後もしばしば、JASSCの救援基金を通じて支援した団体や施設を訪問されました。さらに、福島の児童施設にいる子供達をロサンゼルスへ招待する「福島ユース文化交流事業」を平成25年から30年まで実施するなど、東日本大震災復興の支援に長期にわたって尽力されました。
また、同氏は、平成13年11月に、日本から江戸凧師の土岐幹男氏を招致し、日本の凧を紹介する「日米凧揚げ大会」を実現させました。このイベントは、土岐氏の日本凧揚げ実演の他、飴細工や太鼓演奏及び日本食の販売など、日米の文化交流を促進させ、南カリフォルニアの有力紙に取り上げられるなど、大きな反響を呼びました。平成25年には、1万5千人が参加し、日本以外で最大規模の凧上げイベントとなりました。また、同氏は、平成13年より土岐氏と共に、ロサンゼルスの公立校を訪問し、1,300人の子供たちに、竹と和紙を用いた日本の凧作りを伝授するワークショップを続けられています。
平成27年5月、安倍晋三総理(当時)ロサンゼルス訪問の際、JASSCは在ロサンゼルス日本国総領事館と共催で歓迎昼食会を開催しました。同氏はエリック・ガルセッティ・ロサンゼルス市長や他の日系団体との連携をはじめ、同昼食会の企画及び運営を担い、同昼食会を成功裏に収めました。
アーバー氏は、昭和59年、大学1年生の時に、ハンチントンビーチ市と姉妹都市関係にある愛知県安城市の交換留学に参加されました。深い感銘を受けた同氏は、平成元年、安城市へ戻り、そこで2年間、英語指導助手兼国際コーディネーターを務められました。米国に帰国後、ハンチントンビーチ姉妹都市協会に最年少の理事として加わりました。平成6年から3年間、会長に就任し、安城産業文化公園デンパークの平成9年開園に合わせ、ハンチントンビーチ市で実際に使われていた油井ポンプを友好の象徴として寄贈するなど、安城市との繋がりをより深いものへと引き上げました。その後は、アドバイザーに就任し、平成14年に、安城市市制50周年に際しハンチントンビーチ市で安城市からの訪問団を迎えて開催された、両市の永続的な友好関係を誓う式典の開催や、平成26年の「ハンチントンビーチ桜祭り」(現オレンジ郡桜祭り)の立ち上げに貢献するなど、現在もアドバイザーとして両市の友好親善と文化交流の促進に尽力されています。
デイビッド・ミキオ・ヤマハタ【旭日単光章】
デイビッド・ミキオ・ヤマハタ氏は、昭和52年、ロサンゼルス市消防局(LAFD)に採用され、昭和60年に日系人初となるキャプテンに就任。平成23年にはLAFD125年間の歴史上、日系を含むアジア系として初となる同消防局本部副本部長に昇進し、日系のみならずアジア系米国人の地位向上に大きく貢献しました。
ヤマハタ氏は消防局本部キャプテン時代から日系コミュニティへの貢献に注力し、同消防局が展開する地域住民に向けた基本的な教育プログラムにも積極的に関与しました。同市消防局の代表として「小東京防犯協会」の月例ミーティングに参加し、災害危機管理対策の情報提供や、メンバーのオフィスにて治安改善の指導にあたるなど、様々な日系団体に対して常に惜しみなく消防の知識を広め、30年以上の長きにわたり消防のエキスパートとして日系コミュニティの防災、治安、着実な発展に縁の下の力持ちとして継続して貢献してきました。
同消防局本部副本部長時代には消防を通じた日本との国際協力にも積極的に取り組まれ、日本から派遣された調査団に対しても、ロサンゼルス市消防局の代表として業務内容の説明などを行い、日本の地方自治体の消防能力向上にも貢献しました。
ヤマハタ氏は平成27年、二世ウィーク財団の理事に、令和元年には同財団会長(二世週祭実行委員長)に就任。消火活動を行ってきた同氏らしく、日系社会を更に盛り上げる思いも込めて「ファイヤーアップ」を祭りのテーマに掲げ様々なプロモーションを展開しました。
とりわけ、令和元年7月ロサンゼルス・ドジャーズの「ドジャーズ・ジャパンナイト」において、同球団の前田健太投手やエンゼルス大谷翔平選手、テニスの大坂なおみ選手といった日本を代表するスポーツ選手が集まる中、同氏は観客に対して二世週祭への参加を呼び掛け、多くの人々に同祭を紹介しました。また、同年の二世週祭パレードへのエリック・ガルセッティ・ロサンゼルス市長の登場も実現させました。
令和2年の二世週祭はオンライン開催とせざるを得なくなった中、ヤマハタ氏は実行委員長を引き続き務め、持ち前のリーダーシップを発揮し、二世週祭のウェブサイトを一気に刷新した他、新たに今後の実行委員長の長期継承計画を作成する等、危機を好機に変えながら二世週祭の発展に引き続き大きく貢献されています。
ヤマハタ氏は平成25年の「在米日系人リーダー招聘プログラム」での初訪日をきっかけに以前にも増して積極的に日系団体活動に携わるようになりました。平成25年、消防局退官後はこれまでの経験を活かし、基本的な医療援助の提供や安全な犠牲者の救助方法、地震や津波が起きたときの心構えなどを様々な日系コミュニティ団体に直接出向き、指導しています。日米文化会館の理事としても年に一度行われる避難訓練の指導にあたっています。
ヤマハタ氏のLAFDにおいてアジア系アメリカ人としては最高位まで昇進した功績、そして日系コミュニティに対する惜しみないボランティア活動は日系人の福祉向上に大きく貢献し、日系人と日本との関係を深めることを通して日米関係の強化に貢献されています。
ヤマハタ氏は消防局本部キャプテン時代から日系コミュニティへの貢献に注力し、同消防局が展開する地域住民に向けた基本的な教育プログラムにも積極的に関与しました。同市消防局の代表として「小東京防犯協会」の月例ミーティングに参加し、災害危機管理対策の情報提供や、メンバーのオフィスにて治安改善の指導にあたるなど、様々な日系団体に対して常に惜しみなく消防の知識を広め、30年以上の長きにわたり消防のエキスパートとして日系コミュニティの防災、治安、着実な発展に縁の下の力持ちとして継続して貢献してきました。
同消防局本部副本部長時代には消防を通じた日本との国際協力にも積極的に取り組まれ、日本から派遣された調査団に対しても、ロサンゼルス市消防局の代表として業務内容の説明などを行い、日本の地方自治体の消防能力向上にも貢献しました。
ヤマハタ氏は平成27年、二世ウィーク財団の理事に、令和元年には同財団会長(二世週祭実行委員長)に就任。消火活動を行ってきた同氏らしく、日系社会を更に盛り上げる思いも込めて「ファイヤーアップ」を祭りのテーマに掲げ様々なプロモーションを展開しました。
とりわけ、令和元年7月ロサンゼルス・ドジャーズの「ドジャーズ・ジャパンナイト」において、同球団の前田健太投手やエンゼルス大谷翔平選手、テニスの大坂なおみ選手といった日本を代表するスポーツ選手が集まる中、同氏は観客に対して二世週祭への参加を呼び掛け、多くの人々に同祭を紹介しました。また、同年の二世週祭パレードへのエリック・ガルセッティ・ロサンゼルス市長の登場も実現させました。
令和2年の二世週祭はオンライン開催とせざるを得なくなった中、ヤマハタ氏は実行委員長を引き続き務め、持ち前のリーダーシップを発揮し、二世週祭のウェブサイトを一気に刷新した他、新たに今後の実行委員長の長期継承計画を作成する等、危機を好機に変えながら二世週祭の発展に引き続き大きく貢献されています。
ヤマハタ氏は平成25年の「在米日系人リーダー招聘プログラム」での初訪日をきっかけに以前にも増して積極的に日系団体活動に携わるようになりました。平成25年、消防局退官後はこれまでの経験を活かし、基本的な医療援助の提供や安全な犠牲者の救助方法、地震や津波が起きたときの心構えなどを様々な日系コミュニティ団体に直接出向き、指導しています。日米文化会館の理事としても年に一度行われる避難訓練の指導にあたっています。
ヤマハタ氏のLAFDにおいてアジア系アメリカ人としては最高位まで昇進した功績、そして日系コミュニティに対する惜しみないボランティア活動は日系人の福祉向上に大きく貢献し、日系人と日本との関係を深めることを通して日米関係の強化に貢献されています。