令和3年秋の叙勲受章者
令和3年11月3日
11月3日(日本時間),日本政府は,令和3年秋の叙勲受章者を発表しました。当館管轄区域関係者では次の2氏に対して授与されます。
記
賞賜 |
功労概要 |
主要経歴 |
氏名 性別 年齢 |
現住所 |
旭日小綬章 | アメリカ合衆国における対日理解の促進に寄与 |
現 KABC-TV (ABC7) イブニングショー「アイウィットネス」アンカー ジャーナリスト |
デイビッド・オノ David Ono (男・58歳) |
米国 カリフォルニア州 ロサンゼルス市 |
旭日双光章 | アメリカ合衆国における日本文化の紹介及び日本・アメリカ合衆国間の友好親善に寄与 | 現 日系フェデレーション 会長 元 パサディナ日系文化協会 会長 |
ブライアン・タケダ Bryan Takeda (男・66歳) |
米国 カリフォルニア州 ラバーン市 |
各受章者の対日功績
デイビッド・オノ【旭日小綬章】
![デイビッド・オノ氏](/files/100255266.jpg)
南カリフォルニアで最も高い視聴率を持つABC7ニュース番組のアンカーであるデイビッド・オノ氏は、日本および日系米国人に関するさまざまな番組を制作、放映しています。同氏の作品は、数多くの賞を受賞するなど高い評価を得ており、オノ氏は、ジャーナリストとして、多年にわたり米国における日本の理解促進に多大な貢献をされています。
平成22年、同氏は、日系米国人兵の戦争体験を後世に伝えるゴー・フォー・ブローク全米教育センターの依頼で、第二次世界大戦中に、日系2世兵士達が自国である米国で差別を受けながらも、欧州で米国人として勇敢に戦った姿と彼らの活躍によって解放された現地の人々の感謝の声を伝えるドキュメンタリー「第二次世界大戦の知られざる戦士達」を制作しました。ABC7の同氏のニュース番組でも放映されたこのドキュメンタリーは、大きな反響を呼び、公共放送PBSネットワークを通じて全米に放映されると共に、エミー賞3賞及び卓越したニュース/報道番組に与えられるジャーナリズム業界で権威ある賞の一つであるエドワード・R・マロー賞を獲得しました。
オノ氏は、平成26年に、ワイオミング州ハートマウンテン近郊にあった日系米国人強制収容所で、当時密かに撮影された2000枚の写真をもとに、日系米国人の強制収容の歴史を伝えるドキュメンタリー「ハートマウンテンの遺産」を制作しました。強制収容所での困難な生活の様子や、逆境の中で培われた精神力や友情を描いたこの作品は、エドワード・R・ マロー賞を獲得した他、ABC7及びPBSネットワークを通じ全国放映され、強制収容の事実を広く全米に伝えました。さらに、平成27年にスミソニアン博物館の国立アメリカ歴史博物館で上映されるなど、ほとんど注意が向けられなかった強制収容の歴史を米国人に伝えることに貢献しました。
平成23年、東北の大惨事を知ったオノ氏は、直ちに渡日し、日本の非常事態を全米へ中継しました。同氏は、1年後に東北を取材し、まだ傷跡が多く残る被災地の復興の様子とまだ被災地では支援が必要であるという現地の声を同人のニュース番組を通じて報じました。令和3年のジャパン・ハウス ロサンゼルスとLove to Nipponの共催で開催された震災10周年追悼オンライン行事では、同氏はモデレーターを務め、日本と同様に地震の多い南カリフォルニアにおいて、日本での教訓を生かすことの必要性を強調しました。この追悼行事は、ABC7のウェブサイトでもライブ配信されました。
また、同氏は、広島原爆投下70周年と75周年に、原爆の悲惨さと二度とこのような悲劇が繰り返されてはならないことを伝える映像番組を制作し、自身のニュース番組で報じました。これらの報道もエミー賞を獲得しました。
オノ氏は、アンカーとして忙しいスケジュールにもかかわらず、年間を通じて司会やスピーカーとして日本関連のイベントに数多く参加し、日系団体やコミュニティの支援にも尽力されています。
平成22年、同氏は、日系米国人兵の戦争体験を後世に伝えるゴー・フォー・ブローク全米教育センターの依頼で、第二次世界大戦中に、日系2世兵士達が自国である米国で差別を受けながらも、欧州で米国人として勇敢に戦った姿と彼らの活躍によって解放された現地の人々の感謝の声を伝えるドキュメンタリー「第二次世界大戦の知られざる戦士達」を制作しました。ABC7の同氏のニュース番組でも放映されたこのドキュメンタリーは、大きな反響を呼び、公共放送PBSネットワークを通じて全米に放映されると共に、エミー賞3賞及び卓越したニュース/報道番組に与えられるジャーナリズム業界で権威ある賞の一つであるエドワード・R・マロー賞を獲得しました。
オノ氏は、平成26年に、ワイオミング州ハートマウンテン近郊にあった日系米国人強制収容所で、当時密かに撮影された2000枚の写真をもとに、日系米国人の強制収容の歴史を伝えるドキュメンタリー「ハートマウンテンの遺産」を制作しました。強制収容所での困難な生活の様子や、逆境の中で培われた精神力や友情を描いたこの作品は、エドワード・R・ マロー賞を獲得した他、ABC7及びPBSネットワークを通じ全国放映され、強制収容の事実を広く全米に伝えました。さらに、平成27年にスミソニアン博物館の国立アメリカ歴史博物館で上映されるなど、ほとんど注意が向けられなかった強制収容の歴史を米国人に伝えることに貢献しました。
平成23年、東北の大惨事を知ったオノ氏は、直ちに渡日し、日本の非常事態を全米へ中継しました。同氏は、1年後に東北を取材し、まだ傷跡が多く残る被災地の復興の様子とまだ被災地では支援が必要であるという現地の声を同人のニュース番組を通じて報じました。令和3年のジャパン・ハウス ロサンゼルスとLove to Nipponの共催で開催された震災10周年追悼オンライン行事では、同氏はモデレーターを務め、日本と同様に地震の多い南カリフォルニアにおいて、日本での教訓を生かすことの必要性を強調しました。この追悼行事は、ABC7のウェブサイトでもライブ配信されました。
また、同氏は、広島原爆投下70周年と75周年に、原爆の悲惨さと二度とこのような悲劇が繰り返されてはならないことを伝える映像番組を制作し、自身のニュース番組で報じました。これらの報道もエミー賞を獲得しました。
オノ氏は、アンカーとして忙しいスケジュールにもかかわらず、年間を通じて司会やスピーカーとして日本関連のイベントに数多く参加し、日系団体やコミュニティの支援にも尽力されています。
ブライアン・タケダ【旭日双光章】
![ブライアン・タケダ氏](/files/100255268.jpg)
ブライアン・タケダ氏は、30年以上にわたり日系コミュニティで活発に活動されています。昭和61年よりパサディナ日系文化協会に所属し、日本文化の紹介及び日米の友好親善に多大な貢献をされました。また平成8年には自ら日系フェデレーションを設立し、創設者として地域内の日系コミュニティの連携・発展に寄与されました。
パサディナ日系文化協会では会長を4期、合計8年務められ、会長としての任期中には弓道、太鼓、空手、生け花など、日本文化を学ぶプログラムの拡充に尽力されました。また、平成28年には、パサディナ日系文化協会内にミライ日本語学院を設立し、自ら学院長に就任しました。日本文化に関わるアクティビティを授業に組み込むなど工夫を凝らし、多くの生徒が長期にわたり学習を継続しており、日本文化及び日本語の普及に貢献されています。
また、日系フェデレーションには、ロサンゼルス郡とオレンジ郡内にある17の日系関連団体が所属しており、同氏は有用な情報交換の場を積極的に設け、地域内の日系コミュニティの連携・発展に貢献されています。平成14年、同氏は、日系フェデレーション内にリーダーシップスキル養成プログラム「ライジングスター・ユースリーダーシッププログラム」を立ち上げ、現在に至るまで毎年25名前後、累計で約350名の高校生が参加しました。参加者は主に日系人で、ロサンゼルス地域内の日系コミュニティ内に重要なリーダーを輩出しています。
また、同氏は平成14年よりパサディナ市姉妹都市委員会三島市分科委員会の役員を務められています。平成13年の訪日時に当時の三島市長と会談し、自らの提案で「パサディナ・三島友情青年交流プログラム」を設立、以降令和2年にパンデミックの影響で休止になるまで、三島市とパサディナ市の青年を毎年交互に派遣する事業を主催されました。このように、日米の若年層の交流の機会を長年にわたり創出し続け、日米の友好親善の促進に貢献されています。
平成21年から平成24年の期間には、米日カウンシルにプログラム・ディレクターとして活動されました。平成23年の東日本大震災の被災地のための寄付金募金活動に尽力され、最終的に米日カウンシルとして合計で1万ドルの寄付を集め、日本のNGOに寄付し、被災地支援に貢献されました。
パサディナ日系文化協会では会長を4期、合計8年務められ、会長としての任期中には弓道、太鼓、空手、生け花など、日本文化を学ぶプログラムの拡充に尽力されました。また、平成28年には、パサディナ日系文化協会内にミライ日本語学院を設立し、自ら学院長に就任しました。日本文化に関わるアクティビティを授業に組み込むなど工夫を凝らし、多くの生徒が長期にわたり学習を継続しており、日本文化及び日本語の普及に貢献されています。
また、日系フェデレーションには、ロサンゼルス郡とオレンジ郡内にある17の日系関連団体が所属しており、同氏は有用な情報交換の場を積極的に設け、地域内の日系コミュニティの連携・発展に貢献されています。平成14年、同氏は、日系フェデレーション内にリーダーシップスキル養成プログラム「ライジングスター・ユースリーダーシッププログラム」を立ち上げ、現在に至るまで毎年25名前後、累計で約350名の高校生が参加しました。参加者は主に日系人で、ロサンゼルス地域内の日系コミュニティ内に重要なリーダーを輩出しています。
また、同氏は平成14年よりパサディナ市姉妹都市委員会三島市分科委員会の役員を務められています。平成13年の訪日時に当時の三島市長と会談し、自らの提案で「パサディナ・三島友情青年交流プログラム」を設立、以降令和2年にパンデミックの影響で休止になるまで、三島市とパサディナ市の青年を毎年交互に派遣する事業を主催されました。このように、日米の若年層の交流の機会を長年にわたり創出し続け、日米の友好親善の促進に貢献されています。
平成21年から平成24年の期間には、米日カウンシルにプログラム・ディレクターとして活動されました。平成23年の東日本大震災の被災地のための寄付金募金活動に尽力され、最終的に米日カウンシルとして合計で1万ドルの寄付を集め、日本のNGOに寄付し、被災地支援に貢献されました。