令和2年春の叙勲受章者
令和2年4月28日
4月29日(日本時間),日本政府は,令和2年春の叙勲受章者を発表しました。当館管轄区域関係者では次の2氏に対して授与されます。
記
賞賜 |
功労概要 |
主要経歴 |
氏名 性別 年齢 |
現住所 |
旭日双光章 | アメリカ合衆国における日系社会の福祉向上及び日本・アメリカ合衆国間の友好親善に寄与 |
元 サンフェルナンドバレー日系アメリカ人コミュニティセンター会長 現 ツナ・キャニオン拘置所連合会会長 |
ナンシー・キョウコ・オダ Nancy Kyoko Oda (女・74歳) |
米国 カリフォルニア州 バンナイズ市 |
旭日双光章 | 日本・アメリカ合衆国間の友好親善及び相互理解の促進に寄与 | 現 小東京防犯協会会長 現 風月堂経営者 |
ブライアン・キトウ Brian Kito (男・63歳) |
米国 カリフォルニア州 ロサンゼルス市 |
各受章者の対日功績
ナンシー・キョウコ・オダ【旭日双光章】

ナンシー・キョウコ・オダ氏は,昭和53年以降,40年以上に亘り,サンフェルナンドバレー日系アメリカ人コミュニティセンターの会員として活動し,平成23年に,同氏は,小学校の校長の職を17年間務めた経験と優れた指導力から,同コミュニティセンターの会長職に就任されました。2年間の会長任期終了後,現在も役員を続け,1000の家族会員を持つ同コミュニティセンターの発展を支え,日米交流の促進に多大な貢献をされています。
会長就任の年の平成23年に東日本大震災が発生し,同人は,同コミュニティセンター及び地域の日系団体等に働きかけ,積極的な募金活動に取り組まれました。年間を通じて集まった義援金計11万ドルを日本に送金し,5年後の平成28年には,震災孤児を支援するための義援金募金イベントも開催されました。
ツールレイク強制収容所で日系三世として生まれたオダ氏は,生き延びることができたからには,収容所での出来事を伝えていく責任があると確信し,カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の東アジア研究学科に在籍中,父タツオ・イノウエ氏が,強制収容所での出来事を記録に残した「ツールレーク軍事刑務所日誌」の英語翻訳に取り組まれ,平成30年には,第2次世界大戦中の日系人の歴史を保存するUCLAのスヤマ・プロジェクトの一環として,同日誌の英語翻訳版をオンライン出版しました。
平成25年6月,荒地となり,住宅地開発が計画されていたツナ・キャニオン拘置所跡が,ロサンゼルス市の史跡に認定され,同氏は,ツールレイク収容所生存者であり,サンフェルナンドバレー日系アメリカ人コミュニティセンターの会長としての高い指導力を発揮していた功績が認められ,平成26年,ツナ・キャニオン拘置所連合の初代会長に就任し,非営利団体として発足させました。
オダ氏の主導の下,ツナ・キャニオン拘置所の歴史的事実の認知を広める巡回展が企画されると共に,米議会による日系人収容所助成金プログラムから助成金を獲得し,巡回展の実現に至っています。この巡回展「オークの木だけが知っている」は,2000人以上の拘束された日本人,ドイツ人,イタリア人移民及び送還された日系ペルー人の拘置所での経験を写真,手紙,日記などによって紹介するもので,西海岸12か所で開催されました。同連合発足以前はほとんど知られていなかったツナ・キャニオン拘置所は,同氏の優れた統率力と,同連合の活発で継続的な広報活動及びロビー活動の結果,平成31年には,ロサンゼルス市が確保した,ツナ・キャニオン拘置所跡の一部の土地に,拘置所跡地看板が設置されるに至りました。
また,日系人強制収容の歴史を若い世代へ伝えるべく,カリフォルニア大学ロサンゼルス校,カリフォルニア州立大学ノースリッジ校及び同ロングビーチ校他,多数の高校や教育団体に出向いて強制収容の事実を後世に伝える活動に積極的に取り組んでこられました。
会長就任の年の平成23年に東日本大震災が発生し,同人は,同コミュニティセンター及び地域の日系団体等に働きかけ,積極的な募金活動に取り組まれました。年間を通じて集まった義援金計11万ドルを日本に送金し,5年後の平成28年には,震災孤児を支援するための義援金募金イベントも開催されました。
ツールレイク強制収容所で日系三世として生まれたオダ氏は,生き延びることができたからには,収容所での出来事を伝えていく責任があると確信し,カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の東アジア研究学科に在籍中,父タツオ・イノウエ氏が,強制収容所での出来事を記録に残した「ツールレーク軍事刑務所日誌」の英語翻訳に取り組まれ,平成30年には,第2次世界大戦中の日系人の歴史を保存するUCLAのスヤマ・プロジェクトの一環として,同日誌の英語翻訳版をオンライン出版しました。
平成25年6月,荒地となり,住宅地開発が計画されていたツナ・キャニオン拘置所跡が,ロサンゼルス市の史跡に認定され,同氏は,ツールレイク収容所生存者であり,サンフェルナンドバレー日系アメリカ人コミュニティセンターの会長としての高い指導力を発揮していた功績が認められ,平成26年,ツナ・キャニオン拘置所連合の初代会長に就任し,非営利団体として発足させました。
オダ氏の主導の下,ツナ・キャニオン拘置所の歴史的事実の認知を広める巡回展が企画されると共に,米議会による日系人収容所助成金プログラムから助成金を獲得し,巡回展の実現に至っています。この巡回展「オークの木だけが知っている」は,2000人以上の拘束された日本人,ドイツ人,イタリア人移民及び送還された日系ペルー人の拘置所での経験を写真,手紙,日記などによって紹介するもので,西海岸12か所で開催されました。同連合発足以前はほとんど知られていなかったツナ・キャニオン拘置所は,同氏の優れた統率力と,同連合の活発で継続的な広報活動及びロビー活動の結果,平成31年には,ロサンゼルス市が確保した,ツナ・キャニオン拘置所跡の一部の土地に,拘置所跡地看板が設置されるに至りました。
また,日系人強制収容の歴史を若い世代へ伝えるべく,カリフォルニア大学ロサンゼルス校,カリフォルニア州立大学ノースリッジ校及び同ロングビーチ校他,多数の高校や教育団体に出向いて強制収容の事実を後世に伝える活動に積極的に取り組んでこられました。
ブライアン・キトウ 【旭日双光章】

ブライアン・キトウ氏は,平成3年,南加日系商工会議所及びリトル東京ビジネスアソシエーションから要請を受け,サトル・ウエダ会長の下,「小東京防犯協会」の副会長に就任し,平成13年には会長となって,今日に至るまで約30年間に亘り,リトル・トーキョーの治安改善に大きく貢献されてきました。
「小東京防犯協会」は,昭和57年に,南加日系商工会議所の会員が,ロサンゼルスのダウンタウン内にあるアメリカ最大の日本人街であるリトル・トーキョーの治安の悪化を懸念し,地元商店等に寄付を呼びかけ,リトル・トーキョー内の夜間の巡回警備員を配備したことがきっかけで設立されました。キトウ氏は,同協会副会長就任後,これまで配備されてきた夜間の巡回警備員に加え,ボランティアを集って「パトロール隊」を結成し,ロサンゼルス市警察(LAPD)にパトロール車の同行を要請して一緒にパトロールを実施するなど,日系コミュニティに対する安全な街づくり・治安改善に取り組まれてきました。
平成7年1月31日のロサンゼルス・タイムズ紙は,同氏の活動を取り上げ,「ロサンゼルス警察によると,パトロールを一緒に始めてから,リトル・トーキョーにおける犯罪率は前年比66%も減少」した旨掲載しています。
平成8年,同氏は,リトル・トーキョーのビジネスコミュニティのボランティア及びロサンゼルス市と協力し,地域の防犯と観光旅行者のための案内所として,LAPDと小東京防犯協会が運営する「小東京交番」を開設しました。同交番は,リトル・トーキョーの治安改善に向けて大きく貢献したとし,平成16年には,外務大臣表彰を受賞されています。
平成20年の二世ウィークでは,ロサンゼルス七夕祭り実行委員長として,七夕祭りを盛り上げ,東日本大震災後には,東北,特に仙台市の復興支援に尽力されました。また,小東京防犯協会会長として,積極的な募金活動に取り組まれました。
同氏は,カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校・パット・ブラウン研究所から依頼を受け,これまで計880人の南カリフォルニア地域全体に及ぶ警察官を対象に,地元警察と連携したコミュニティの治安改善に向けての取り組みにかかる講義を実施されるなど,警察官の育成にも貢献され,また,日系人警察官候補者の発掘,育成に向けても務めてこらえました。
なお,キトウ氏は,明治36年に開店したリトル・トーキョーにおいて最も長い歴史を誇る個人商店「風月堂」の三代目経営者として,日本の伝統を守り続けています。名物の餅や饅頭をはじめ様々な和菓子を取り揃えており,近年は,米国人にも日本の食文化に親しんでもらうきっかけとして,伝統的な饅頭以外に,ピーナッツバターを中に詰めたストロベリー味の饅頭も考案され,新たな顧客層が生まれており,米国人に対する日本の食文化の紹介にも寄与されています。また,昭和64年より,在リトル・トーキョー・西本願寺のサマープログラム「西心道場」に通う年間約100人の小学生に対し,饅頭づくりを30年間指導され,また,リトル・トーキョーの日米文化会館等で行われている料理教室等の機会においても指導されるなど,日本と米国の和菓子作りを通じた相互理解促進に貢献されています。
「小東京防犯協会」は,昭和57年に,南加日系商工会議所の会員が,ロサンゼルスのダウンタウン内にあるアメリカ最大の日本人街であるリトル・トーキョーの治安の悪化を懸念し,地元商店等に寄付を呼びかけ,リトル・トーキョー内の夜間の巡回警備員を配備したことがきっかけで設立されました。キトウ氏は,同協会副会長就任後,これまで配備されてきた夜間の巡回警備員に加え,ボランティアを集って「パトロール隊」を結成し,ロサンゼルス市警察(LAPD)にパトロール車の同行を要請して一緒にパトロールを実施するなど,日系コミュニティに対する安全な街づくり・治安改善に取り組まれてきました。
平成7年1月31日のロサンゼルス・タイムズ紙は,同氏の活動を取り上げ,「ロサンゼルス警察によると,パトロールを一緒に始めてから,リトル・トーキョーにおける犯罪率は前年比66%も減少」した旨掲載しています。
平成8年,同氏は,リトル・トーキョーのビジネスコミュニティのボランティア及びロサンゼルス市と協力し,地域の防犯と観光旅行者のための案内所として,LAPDと小東京防犯協会が運営する「小東京交番」を開設しました。同交番は,リトル・トーキョーの治安改善に向けて大きく貢献したとし,平成16年には,外務大臣表彰を受賞されています。
平成20年の二世ウィークでは,ロサンゼルス七夕祭り実行委員長として,七夕祭りを盛り上げ,東日本大震災後には,東北,特に仙台市の復興支援に尽力されました。また,小東京防犯協会会長として,積極的な募金活動に取り組まれました。
同氏は,カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校・パット・ブラウン研究所から依頼を受け,これまで計880人の南カリフォルニア地域全体に及ぶ警察官を対象に,地元警察と連携したコミュニティの治安改善に向けての取り組みにかかる講義を実施されるなど,警察官の育成にも貢献され,また,日系人警察官候補者の発掘,育成に向けても務めてこらえました。
なお,キトウ氏は,明治36年に開店したリトル・トーキョーにおいて最も長い歴史を誇る個人商店「風月堂」の三代目経営者として,日本の伝統を守り続けています。名物の餅や饅頭をはじめ様々な和菓子を取り揃えており,近年は,米国人にも日本の食文化に親しんでもらうきっかけとして,伝統的な饅頭以外に,ピーナッツバターを中に詰めたストロベリー味の饅頭も考案され,新たな顧客層が生まれており,米国人に対する日本の食文化の紹介にも寄与されています。また,昭和64年より,在リトル・トーキョー・西本願寺のサマープログラム「西心道場」に通う年間約100人の小学生に対し,饅頭づくりを30年間指導され,また,リトル・トーキョーの日米文化会館等で行われている料理教室等の機会においても指導されるなど,日本と米国の和菓子作りを通じた相互理解促進に貢献されています。