平成29年秋の叙勲受章者

平成29年11月2日

11月3日(日本時間)、日本政府は、平成29年秋の叙勲受章者を発表しました。
当館管轄区域関係者では、次の2名に対して授与されます。

 


 

賞賜

功労概要

主要経歴

氏名

性別 年齢

現住所

旭日 双光章 アメリカ合衆国における日系人の地位向上及び日本・アメリカ合衆国間の友好親善に寄与 元 南加日系商工会議所会頭

キティ・サンキ

Kitty Sankey (女)

(70歳)

米国

カリフォルニア州

ロサンゼルス市
旭日 双光章

日本・アメリカ合衆国の相互理解の促進及び友好親善に寄与

元 立川・サンバーナディノ姉妹市委員会委員長

元 サンディエゴ横浜姉妹都市協会会長

現 サンディエゴ日本友好庭園協会第一副会長 

テルマ・プレス

Thelma Press (女)

(90歳)

米国

カリフォルニア州

サンディエゴ市

 

各受章者の対日功績

キティ・サンキ 【旭日双光章】

キティ・サンキ氏は東京生まれの日系3世。沖縄米軍基地内のクバサキ高校を卒業した後カリフォルニア大学ロサンゼルス校で学士号を取得。平成21年に引退するまでロサンゼルス統一学区にて教員を務めました。教師として働く一方で、日系コミュニティにも積極的に参加しています。正義感が強く、日系コミュニティ内で指導的な立場をとりつつ、第二次世界大戦時の日系人強制収容に対する米政府からの謝罪を求め、活発に活動しました。同人は、南加日系商工会議所、南加日系婦人会、日系オプティミスト・クラブ、日系アメリカ人市民同盟ダウンタウンロサンゼルス支部等、ロサンゼルスの主要な日系団体において活発に活動しており、日系人及び在留邦人の絶大なる信頼を勝ち得ています。

 

同人は平成4年より、日本人や日系人社会の親善や福祉向上、日米間の理解促進などに資する活発な活動を行い、在ロサンゼルスの代表的な日系団体である南加日系商工会議所に入会しました。平成28年の同人の会頭就任は、女性として初めてということだけではなく、英語を母語とする会長の誕生という意味でも画期的でした。より多くの日系人に対して同商工会議所への入会をアピールするとともに、同人が米国社会で培った人脈を通じ、ロサンゼルス港湾局や他国の商工会議所などとの共同イベントを開催するなど地域社会との交流を強化し、日米間の橋渡しを強化していくための土台を築きました。同人は、平成28年を通じ、南加日系商工会議所会頭として、外務省が平成29年秋にロサンゼルスに設置する予定であるジャパン・ハウスの現地運営委員を務め、現地の日系コミュニティ代表としてジャパン・ハウスのあり方に関する議論に参加しました。

 

同人は、平成18年より南カリフォルニアにおける日系婦人相互の親睦活動、社会福祉活動を積極的に実施し、日系婦人の地位向上に多く寄与している南加日系婦人会に参加平成20年より今日に至るまで副会長を務めており、同会奨学金委員会の委員長を務めている他、現地の日系人高齢者の慰問を実施。同人が副会長を務めるJACLダウンタウンロサンゼルス支部と協力し、女性の活躍を後押しするために毎年活躍した女性をウーマン・オブ・ザ・イヤー(Woman Of the Year)として選定、表彰を行っています。

 

同人は、日系コミュニティ内の親善及び子供達の健全な育成を目指す日系オプティミストクラブ(JAO)において平成17年から現在に至るまで青少年部門の副会長を務めています。同人は子供達を招待して毎年実施しているクリスマス会、ハロウィン・パーティ、イースター・パーティなどを取り仕切り、事前の協賛金集めの他、多くのボランティアとともにイベントの司会、運営など中心的な役割を果たしています。

 

同人は日系アメリカ人市民同盟(JACL)ダウンタウンロサンゼルス支部において長年に渡わたり会長を務め、第二次世界大戦中の日系人強制収容に対する米政府による謝罪と補償を要求し、ロビー活動を行いました。同人は、JACLを通じ、社会貢献にも注力しており、同支部に隣接したスキッド・ロウ地区(ホームレス等が多数存在し、十分な教育を受けることができない子弟も多い)に隣接するナインス・ストリート・スクールへの奨学金を集める夕食会を平成元年に支部の設立60周年式典と合同で開催。この夕食会がきっかけとなり、スキッド・ロウにいる子供たちを多く受け入れ、ナインス・ストリート・スクールへの奨学金制度が設立されることとなりました。

 

テルマ・プレス 【旭日双光章】

テルマ・プレス氏は、当時英国領だったインドのダージリンで生まれ、インドのカトリック大学であるロレト大学に進学し、マザー・テレサとして広く知られるコルカタの聖テレサの下で地理学を学びました。昭和20年,第二次世界大戦終戦後に船で渡米した際、悲惨な戦争の残骸とともに,子供たちが難民キャンプでの生活を強いられている光景に触れ,「大人の罪のために子供たちが処罰を受けるべきではない。できることはどんなことでもしたい」と世界平和に対する強い決意を抱くようになりました。同人の強い意志と情熱,ボランティア精神,未知な分野へ積極的に取り組む姿勢は,多くの人々を引き付け,後に米国における姉妹都市提携のパイオニアとなっていきました。同人の長年に亘る功績が称えられ,全米国際姉妹都市協会からは,平成21年にルース・橋本賞が授与され,平成24年には同協会の最高の栄誉である世界全権大使に任命されました。また,平成23年には,カリフォルニア国際ビジネス大学より同人の国際関係分野における功績を称え博士号が贈呈されました。同人がこれまでに受賞した賞は62に及びます。

 

カリフォルニア州サンバーナディノ市へ移り住んだ後、昭和34年,同人は東京の立川市との姉妹都市提携プログラムの共同創立者として,立川・サンバーナディノ姉妹市委員会を発足させました。立川市の姉妹市提携は、東京都では初めてであり、全国では27番目に当たります。昭和40年から49年の間,同人は夫の故ルイス・プレス氏と共に委員長も務めました。交流活動の中核としておこなわれている両市内の高校生の交換留学は、現在も活発に続けられ、両市からの派遣高校生の人数の累計は,各々200名以上に及んでいます。同人は,交換留学で訪れた日本人学生を家族の一員として、自宅に迎えました。また、同人は、20年近くに及びサンバーナディノ市の文化・国際部長も務めました。平成25年に,サンバーナディノ市は,立川市との50年以上に及ぶ友好関係の証として,同人と夫の故プレス氏の名を刻んだ記念プレートを同市役所敷地内に設置しました。

 

同人は,昭和47年に全米国際姉妹都市協会のカリフォルニア代表に選出された後,昭和52年には全米国際姉妹都市協会の米国理事に選出され,姉妹都市提携に関する同人の功績,指導力,深い知見は全米規模で知られるところとなりました。同人は,サンバーナディノ市在住時から,横浜市とカリフォルニア州サンディエゴ市の姉妹都市提携プログラムにも深く関わるようになり,昭和56年からサンディエゴ横浜姉妹都市協会の理事となり,その後副会長を,平成25年から27年までは会長を務めました。会長就任時に、横浜市との経済交流や姉妹校提携の実現など、人的・文化交流のみならず、経済や教育などの分野でも交流を深めることに貢献しました。

 

平成6年からサンディエゴ日本友好庭園の維持・管理を行うサンディエゴ日本友好庭園協会の理事となり,平成25年から現在に至るまで第一副委員長を務めています。平成27年にオープンした稲盛パビリオンを含む拡張事業において、同人は、日本の伝統がより忠実に再現できるよう,資金調達から設計面等,多岐に渡る会議のメンバーとして活躍しました。サンディエゴ日本友好庭園では,お正月,桜祭りなど年間を通して日本の季節感のある展示,イベントが活発に継続して開催され,同人は、全世界から庭園を訪れる人々に対して日本文化の紹介・普及のため現在も日々尽力しています。