平成28年春の叙勲受章者

平成28年4月28日

4月29日(日本時間)、日本政府は、平成28年春の叙勲受章者を発表しました。
当館管轄区域関係者では次の3氏に対して授与されます。



 

 

賞賜

功労概要

主要経歴

氏名

性別 年齢

現住所

旭日小綬章 アメリカ合衆国における日本庭園を通じた日本文化の紹介及び対日理解の促進に寄与 現 ハンティントンライブラリー植物園園長

ジェームズ・P・フォールサム(男)

James P. Folsom
(65歳)

カリフォルニア州

サン・マリノ市
旭日小綬章 アメリカ合衆国における日系人の地位向上及び相互理解の促進に寄与 元 リトル東京サービスセンター理事長 元 カリフォルニア州 日系コミュニティリーダーカウンシル 理事長

アラン・タケシ・ニシオ 

Alan Takeshi Nishio
(男) 
(70歳)

カリフォルニア州
ガーデナ市
旭日双光章 日本食文化普及功労 元 モリナガニュートリショナルフーズ社長   現 日本食文化振興協会理事長

雲田 康夫 (くもだ やすお)
(男)
(74歳)

カリフォルニア州
レドンドビーチ市

 

 

各受章者の対日功績

ジェームズ・P・フォールサム   旭日小綬章

フォールサム氏は1950年アラバマ州生まれ。ヴァンダービルト大学にて生物学の修士号、テキサス大学オースティン校にて植物学博士号を取得。1984年よりハンティントンライブラリー植物園にて勤務を開始し、1991年より現在に至るまで25年間園長を務めています。同氏は、日本庭園を維持するだけでなく、庭園を媒介として日本文化を南カリフォルニアの市民に伝承してきました。広く一般市民に日本文化や日本庭園に親しむ機会を提供してきた功績は、日本への理解を深め、日米友好親善に大きく貢献しました。


 同氏が園長を務めるハンティントンライブラリー植物園の日本庭園は、1912年に建築された北米で最も古い歴史を有する本格的日本庭園であり、園内には数寄屋橋建築の茶室「清風庵」を始め、1900年代初頭の日本家屋、枯山水の石庭、竹林、木造の日本式橋、盆栽園なども存在します。1928年に一般公開されて以来、2千万人以上の来園者を誇り、伝統的な日本の庭園様式を紹介するとともに、日本庭園内で生け花、盆栽、水石を始めとした日本の自然芸術文化を紹介し続けています。同氏は1994年6月の天皇皇后両陛下の米国ご訪問において、ハンティントンライブラリーをご訪問された両陛下に日本庭園の説明を行いました。


 2012年の日米桜寄贈100周年には、同年の全米桜植樹イニシアチブと並行し、同園の自己財源によって約1300本のピンククラウド種の苗木を南カリフォルニアからアリゾナ州まで幅広く無料配布を行いました。 さらに同年、ハンティントンライブラリー日本庭園100周年事業の一環として、同氏がイニシアチブを取り日本庭園の修復を行いました。これらの功績により、2013年に同園は外務大臣表彰団体賞を受賞しています。

 

 

アラン・タケシ・ニシオ       旭日小綬章

アラン・タケシ・ニシオ氏は1945年にカリフォルニア州マンザナーで生まれ、ロサンゼルス市ベニス-マービスタ地域で育ちました。1966年にカリフォルニア大学バークレー校政治学部を卒業し、1968年に南カリフォルニア大学行政学修士号を取得しました。1972年には東京へ6ヵ月間留学し、上智大学アジア学部国際プログラムを修了しました。米国へ帰国後、日系コミュニティー内で指導的役割を果たし、地域への社会福祉と米国における日系コミュニティーの地位向上に尽力してきました。


 ニシオ氏は当時よりリトル東京サービスセンターの活動に貢献し、1984年からは理事、1994‐1998年と2003‐2014年は理事長を務め、現在は顧問委員会議長として従事しています。同氏のリーダーシップのもと、リトル東京サービスセンターは英語が不得手な邦人に対して多様なサービスを実施し、地域では類のない日本語での支援サービスを提供してきました。


また同氏は、リトル東京に多目的スポーツ総合施設を建設するという「ロサンゼルス武道館」計画の実現化も推進。まもなく着工される武道館は、南カリフォルニア地域の次世代への日本の伝統文化の継承と普及をさらに活性化するものと期待されています。
ニシオ氏は、さまざまな活動を通じて米国における日系移民の体験を広く知らしめ、理解を深めるために尽力してきました。


2005年から2015年までカリフォルニア州日系コミュニティリーダーカウンシル理事長を務めました。また同氏は、全米日系救済賠償連合の共同代表として、日系アメリカ人が賠償を勝ち取るために非常に有益な役割を果たしました。1980年から1990年における同氏のリーダーシップは、「1988年市民の自由法」の制定に多いに貢献し、アメリカにおける日系アメリカ人とその特異な歴史や、彼らの苦難と功績への理解が深まりました。


2000年に外務省主催の全米日系人リーダーシップ招へいプログラムで訪日。その後も、継続的に二国間関係の推進に努めています。2011年の東日本大震災後は、米日カウンシル主催の派遣団として何度も訪日し、東北の復興に従事するNPO/NGOを支援してきました。


ニシオ氏は、1972年から職員として勤務したカリフォルニア州立大学ロング・ビーチ校を、2006年に学生サービス副局長として退職するまで、長年にわたり地元の若い世代にとってのメンターとして、アジア系アメリカ学部で講師として教鞭をとってきました。現在は、日米文化会館の理事を務めるかたわら、次世代の日系アメリカ人リーダーの育成に従事する団体「キズナ」の顧問も務めています。

 

雲田 康夫 旭日双光章

雲田氏は1941年5月23日、樺太生まれ。5歳の時に北海道に引き揚げ。青山学院大学法学部卒業後、1966年森永乳業株式会社に入社。1985年米国に設立された森永乳業現地法人豆腐販売会社であるMorinaga Nutritional Foods, Inc.の初代社長に就任し、2005年に退職するまで米国での豆腐普及に取り組んできました。


 同氏は日本食が今日のように親しまれる前、大豆は家畜の飼料と言われていた時代から米国で20年以上にわたり豆腐の普及に取り組み、豆腐を健康によい食品として認知させ、「ミスター・トーフ」と呼ばれるなど米国に豆腐を紹介した第一人者であり、多くの苦難、苦労を乗り越えられ、米国において日本の食材、食文化が爆発的に普及する契機を作った日本人の一人です。
森永乳業退職後は、中京大学客員教授として、海外で活躍できる若者の育成に尽力しています。また、日本の時事通信社主催の講演会で全国支局を回り、中小企業の海外進出の指導を行っており、すでに60都市に及んでいます。


2006年にはシラタキを販売するSuper Frec U.S.A., Inc.の会長に就任し、豆腐に続く新たな健康食品としてシラタキを使ったアイデア商品の開発に努めています。また、2008年には日本食文化振興協会の理事長に就任し、日本食の海外普及に全力を注いでいます。


これらの功績を称え、同氏は2008年に農林水産大臣より日本食海外普及功労者表彰を受賞したほか、カリフォルニア下院議員表彰、トーランス市長賞を受賞。また、2015年には同氏に対し、在ロサンゼルス総領事より総領事表彰が行なわれました。