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平成21年秋の叙勲受章者について
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 11月3日(日本時間)、日本政府は、平成21年秋の叙勲受章者を発表しました外国人叙勲受章者名簿。当館管轄区域関係者では下記の4名に対して授与されます。

賞賜 功労概要 主要経歴 氏名
性別 年齢
現住所
旭日中綬章 アメリカ合衆国における日本研究の発展及び対日理解の促進に寄与

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・南カリフォルニア大学(USC)歴史学名誉教授
・元 南カリフォルニア大学東アジア研究センター所長
・元 USC/UCLA東アジア共同研究センター所長
ゴードン・マーク・バーガー
Gordon Mark Berger
男 67歳
カリフォルニア州
サンタモニカ市
旭日小綬章 在外投票制度の実現及び米国における日本食文化の振興に寄与

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・共同貿易社長
・茶道裏千家カリフォルニア今日会会長
・元 南加日系商工会議所会頭
金井 紀年
Noritoshi Kanai
男 86歳
カリフォルニア州
モントレーパーク市
旭日小綬章 戦後の日本プロ野球の復興及び野球を通じた日米親善に寄与

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・元 ニューヨーク・ジャイアンツ極東スカウト担当
・元 読売巨人軍国際担当
原田 恒男
Tsuneo Harada
男 88歳
カリフォルニア州
パームデザート市
旭日双光章 日本人・日系人の福祉向上に寄与

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元 日系パイオニア・センター会長 山口 弘
Hiroshi Yamaguchi
男 84歳
カリフォルニア州
ノースリッジ市

 

各氏の対日功績は以下のとおりです。

ゴードン・マーク・バーガー   南カリフォルニア大学(USC)歴史学名誉教授 【旭日中綬章】

  同氏はコネチカット州ニューロンドンに生まれ、少年期の殆どをニュージャージー州で過ごしました。同氏はウェスリアン大学に学び、同大学初の日本語学習者となりました。大学3年目に初めて渡日し、1年間日本語・日本文化に没頭する留学生活を送っています。同大学を優秀成績で卒業後イェール大学大学院に進学し、修士号(東アジア学)、博士号(歴史学(専門は日本歴史))を取得。1970年、南カリフォルニア大学(USC)の教員となり、同大学最初の日本史専門の専属教員として教鞭をとり始めます。以後2008年の退職に至るまで、同氏は通算8千人を超える学生に日本史を教え、また、自らが専門とする日本近・現代史を含む幅広い学問分野の日本研究に関わる博士号輩出にも大いに尽力してきました。

 同氏は通算15年間に亘りUSC東アジア研究センター所長及びUSC/UCLA東アジア共同研究センター所長を務め、南カリフォルニアひいては全米における日本研究発展の基盤形成に多大な貢献をしました。両研究センターは同氏主導の下、米国連邦政府助成を次々獲得し、各種学術プログラムや大学院研究助成制度、両大学間連携等が拡充されました。両大学は米国内における日本・東アジア研究の専門資料・人材の重要な地域拠点へと発展しました。

 加えて同氏は、南カリフォルニア・ジャパン・セミナーの創設人・運営委員、カリフォルニア州内私立大学の対日留学交流プログラム・ディレクター、国際交流基金研究員、大蔵省財政史室研究員、都市地震防災に関する米日研究会論文発表人等多様な分野で数多くの要職を歴任しています。アジア研究協会では北東アジア・カウンシル委員長にも選出されました。

 同氏はその公私にわたる意欲的な研究・教育や種々のアウトリーチ活動を通し、幅広い分野で日米の架け橋役を担ってきました。米国における対日理解の促進という使命を達するにあたり、同氏は大学での日本史講義に留まらず、現代日本の多種多様な側面についても一般の人々や各種メディアに積極的な発信を続けてきました。同時に在米邦人に向けても、駐在員や政府関係者、有識者、留学生らを対象とする米国事情セミナー等を率先してきました。

 同氏は大の相撲好きとしても知られています。特に南カリフォルニアの英語TV番組「大相撲ダイジェスト」では7年間大相撲英語解説者を務めたことから、地元や全米、学生の間で「相撲博士」の異名をとりました。

 主著に『Parties Out of Power in Japan, 1931-1941 』(プリンストン大学出版、1977年) や『Kenkenroku: A Diplomatic Record of the Sino-Japanese War, 1894-95』(東京大学出版/プリンストン大学出版、1982年)があります。 また『The Cambridge History of Japan』の1930年代日本政治についての章の執筆も手掛けています。

 日本においても、同氏は学会や一般の場で堪能な日本語を活かし数多くの発表を行い、広く専門誌やマスメディアでも論考を発表してきています。1977年出版の主著は邦訳され『大政翼賛会―国民動員をめぐる相剋』(山川出版、2000年)として単行本出版されています。



金井 紀年   共同貿易社長 【旭日小綬章】

  同氏は、平成6年秋、教育、文化、スポーツ等の日米交流増進に尽力された功績により勲5等双光旭日章(当時)を受章されましたが、今回、日本食文化の振興、在外投票制度の実現における顕著な功績により旭日小綬章を受章されました。

 大正12年、東京都新宿区に生まれた同氏は、東京商科大学(現一橋大学)在学中に学徒兵として召集を受け陸軍主計少尉として転戦した体験がもとになり、昭和26年、食料品貿易の事業を始め、昭和39年、米国における日本食市場を開拓するため渡米しました。

 同氏は、翌年、リトルトーキョーの料亭に寿司カウンターを設置し、生魚を食べる習慣のなかった米国に「握り寿司」を持ち込みました。これが、今日の米国における日本食ブームの原点となったものです。以降、同氏は、日本食材を次々と根付かせ、その傍ら、日本食レストランの地位向上など日系食品業界が日本食の普及に取り組める体制作りに腐心し、また、米国初の本格的な日本食料理学校を設立するなど、米国における日本食の普及に尽力し、平成19年には功労者として農林水産大臣より表彰されました。

 また、同氏は在外投票制度の実現に尽力しました。海外在住の日本人が選挙権を行使できなかった平成6年、同氏は、「海外在住者投票制度の実現をめざす会」を立ち上げ、自ら会長に就任し、世界各地の組織との連携を深めながら、そのリーダーとして在外投票制度の実現に尽力しました。特に、同氏は、平成8年、在外投票を認めない公職選挙法を違憲として、8か国53名から構成される原告団の団長として国を提訴。この提訴が、翌年の公職選挙法改正法案の国会提出へと繋がりました。さらに、同氏は、同法案には海外永住者を除外する条項が含まれていることについて国会において参考人として意見陳述。この陳述が契機となって同条項は削除され、平成10年、同法案は成立し、海外永住者を含む海外在住の日本人の在外投票に道が開かれました。



原田 恒男   元 ニューヨーク・ジャイアンツ極東スカウト担当 【旭日小綬章】

  同氏は日系2世として米国カリフォルニア州に生まれました。少年時代から野球に打ち込み、高校ではオール・カリフォルニアの二塁手に抜擢されるまでになりました。昭和16年の太平洋戦争開戦後、同氏は、父母の祖国との狭間で悩みながらも、米国に生まれた者として米国陸軍に志願入隊しました。

 戦後、同氏は娯楽文化やスポーツの振興を重視した連合国総司令部(GHQ)経済科学局に配属され、日本野球の復興に大いに貢献することとなりました。特に、同氏は戦後初の日米親善野球開催を実現させ、日米親善の先駆けとなりました。また、同氏は、日本プロ野球の父とされる正力松太郎氏から日本野球のレベル向上について相談された際、米国のワールドシリーズを例に引いた2リーグ制による日本シリーズ開催を助言したため、これにより、セパ両リーグの切磋琢磨による日本プロ野球のレベル向上に貢献することになりました。

 退役後、同氏は、読売巨人軍の国際担当に就任し、戦後初の外国人選手となる日系の与那嶺要(ウォーリー与那嶺)選手をはじめ、我が国に多くの外国人選手を紹介し、日本プロ野球のレベル向上に寄与しました。また、海外渡航が規制されていた戦後間もない時期に、日本選手の米国球団キャンプへの参加や、日本球団の米国キャンプ実施等を支援し、野球を通じた日米の交流にも貢献しました。

 昭和29年から40年のニューヨーク(後にサンフランシスコ)・ジャイアンツの極東担当時代には、日本人初のメジャー・リーガーである村上雅則の誕生にも関わりました。現在のイチロー、松井秀喜、松坂大輔選手の活躍など、今につながる日本のプロ野球選手のメジャーリーグでの活躍はここに始まったといっても過言ではありません。

 その後、同氏はジャイアンツ球団の広報担当という要職に就き、また、メジャーリーグ事務局などで辣腕をふるいました。第一線を退いた後も、同氏は、10年にわたり日本人高校生の米国留学費用を支援する等、日米の架け橋としての情熱を持ち続けています。



山口 弘   元 日系パイオニア・センター会長 【旭日双光章】

 カリフォルニア州生まれの同氏は、第二次世界大戦を挟んで8歳から23歳までを日本で過ごし、米国に戻った後、スタンフォード大学を卒業し、航空宇宙開発関連企業に就職しました。同氏は、同社に勤務中、日本から数多くの技術者を受け入れて指導し、様々な先進技術の日本への移転に貢献しました。

 同氏は、1966年、日本語を使用する米国初の電波メディアでありラジオ放送を行うホームキャスト社の設立と同時に代表取締役副社長となり、日本語による報道や娯楽を日系社会に提供しました。同氏は後に同社をテレビ放送に発展させ、日系社会における放送メディアの育成に貢献しました。また、同氏は、1992年に毎日新聞社の米国法人であるファックス毎日社の設立に関与して代表取締役社長となり(2001年まで在職)、日本の新聞が海外へ数日遅れで郵送されておりインターネットもまだ一般に普及していなかった時代に、日本の新聞の米国におけるファクシミリによる迅速な配信を実現しました。

 同氏は、退職した後、地域社会への奉仕活動に力を注ぎ、南加鹿児島県人会会長、南加県人会協議会副会長、南加日系商工会議所副会頭等を歴任しました。とりわけ、リトル東京を拠点に活動する日系高齢者向け福祉サービス・センターである日系パイオニア・センターでは、2004年から副会長を、2006年から2009年までは会長を務め、日系コミュニティにおける高齢化の急速な進行や経済情勢の悪化といった厳しい環境の中、ファンドレイジングや事業内容の充実に尽力し、日本人・日系人高齢者の福祉向上に大きく貢献しました。

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